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12.「Lip Look」高校生の感想 と再度「粘膜奏法」について
先日、神奈川県のある生徒さんからリム・ビジュアライザー「Lip Look」に関する次のような手紙をいただきましたので紹介させていただきます。少しでも役に立てたと嬉しく思っています。文面からもこの生徒さんの努力が目に浮かびます。
それから 紹介させていただくと同時に再度「粘膜奏法」に対する私の考えと私自身の苦い体験を書かせていただきます。悩めるトランペッターの方々に何か参考になれば幸いです。
>ある高校生の感想<
「私は中学校からトランペットをやっていましたが高校に入っていろいろな面で演奏技術に問題を抱えるようになりました。
その原因は粘膜奏法ではと先輩から教えられてアンブシュアを直すことになりました。
それを教えてもらったときに、まず正しいピースの位置に対するアドバイスといっしょに「Lip Look」をもらいました。
何が粘膜で何が正しいのかわからない私にとって、今の唇の状態をそのまま見ることができるのは非常に効率的で分かりやすかったことが強く印象に残っています。
後日、光井先生がいらっしゃり、詳しいアンブシュアを教えてもらってから毎日「Lip Look」を持って鏡とにらめっこでした。
唇は全部入っているか、唇の内側出てないか、上唇が下唇と揃っているかなどの見た目ばかりでなく、息を出して唇はすぐに振動する状態に準備できているか(先生はその事を大変重要視されています)などに気をつけながら毎日練習を続けました。
もちろん直すのに時間はかかりましたし、なかなか思い通りにならなくて大変でした。しかし矯正できてからは今まで(中学時代も含めて)
できなかったことまでもが、ひとつひとつできるようになっていくのを実感でき毎日の練習がほんとうに楽しくなりました。アンサンブル・コンテストでも結果を出せる事ができたのも良い思い出です。そしてトランペットを吹く真の難しさ、面白さも知ることができたと思っています。
そして辛い思い出だけが残らなくてよかったと思ってます。
まだまだなトランペット技術なのでこれからも練習に励みたいと思います。」
平成27年2月 神奈川県立高校R.N.さん
文中にある「辛い思い出だけが残らなくてよかったと思ってます。」ということばが大変印象的でした。
「粘膜奏法」
中高生の指導をしているととても多く見られるようになったのが「粘膜奏法」のような気がします。なぜそのような生徒が増えたのか私なりに原因を考えてみました。ただ、これは私の憶測でありまったく個人的な意見であって、科学的な根拠があるものではありません。
原因
昔と比べて演奏技術も向上し明らかにブラスプレーヤーのレベルは高くなっています。それにつれて吹奏楽コンクール等のトランペットパートには非常に高い音が要求される曲も多くなってきたと思います。
音大生あるいはプロ奏者でもきついと思われる曲を目にすることも珍しくありません。しかし、まだ訓練のできていない中高生が限られた時間の中で何とか演奏(と言うよりも音を出す)しなければと必死で工夫しているとき、ふと上唇に浅く当てて粘膜をめくるようにして吹くと非常に楽に出たのではないかと推測します。
中には<窮余の一作>として危機回避的にこの奏法を使った生徒もいると思います。
世の中にはこの奏法で大変上手に演奏できているプレーヤーもいるかもしれませんが私自身の周りでそうしたプレーヤーは見たことがありません。
このようなことを書いている私自身、若い頃ビッグ・バンドで5年間仕事をしていました。当然ハイ・ノートを要求されます。その要求に耐えるため知らず知らずのうちに粘膜奏法奏法になっていた苦い経験があります。
その後バンドを<卒業?>して本来のクラシックに戻ったのですが想像できないほどの苦労をしてしまいました。けっしてジャズやビックバンドが悪いと言う話ではなく私自身の奏法に対する不注意が招いた結果です。当時<粘膜奏法>という言葉は一般的ではなかったように思います。
では、この奏法にどんな問題があるかと言う事ですが、私自身の経験をお話させていただきますと、まず唇の赤い部分にリムが直接当たるので大変傷つきやすく唇の赤い部分は腫れぼったくなります。当然ですがとても発音しにくいです。そして翌日も回復しないため、日々の練習に継続性がなくなってしまいました。
技術的には、高音域は出やすいかもしれませんが音色は貧弱で、キンキンした音になりピッチは上ずることが多いです。そして中低音は貧弱どころか発音することも難しくなりました。そこで低音になったとき少しアンブシュアを変えるのですが結果としてダブル・アンブシュアになってしまいました。
こうなるとインターバルの練習をとても難易度の高いものと感じるようになってきてアーバンの変奏曲などをうまく演奏できなくなってしまいました。
金管アンサンブルを主催していたのですがピッコロ・トランペットだけはなんとかなると言う悲惨な状況が何年も続きました。それでも仲間の協力で、なんとか仕事にはなっていましたが悩む日々が続きました。他にも書ききれないほどの問題を抱えましたがある事を機会に回復することができました。
続きは4月1日に掲載いたします。